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第6話 オレはまだ、倒れられない

last update Date de publication: 2026-07-02 18:27:37

 黒鉄くろがね喰らい――グラン・モルドは、まるでこちらを値踏みするみたいにゆっくりと頭を持ち上げた。

 暗闇の中で、赤熱したような眼光が鈍く揺れる。

 その視線を向けられただけで、背筋が粟立つ。

 巨大な顎が岩を噛み砕くたび、ゴリ、ゴリ、と不快な破砕音はさいおんが空洞全体へ響き渡る。

 逃げ場はない。

 背後は、さっき崩された落石で完全に塞がっていた。

「……クラド」

「分かってる」

 震えそうになる声を無理やり押さえ込みながら、俺はフライパンを握り直した。

 怖い。

 正直、今すぐ全部投げ出して逃げたい。

 けれど、グラン・モルドはそんな隙を与える気すらないらしい。

 巨体に似合わない速度で前脚を踏み込んだ瞬間、洞窟全体が揺れた。

「来るぞ!」

 叫ぶと同時に横へ飛ぶ。

 直後、俺たちが立っていた場所へ巨大な爪が叩き付けられ、岩盤が紙みたいに砕け散った。

「っ、うわ……!」

 飛び散った破片が頬を掠める。まともに食らっていたら、人間なんて簡単に潰れていた。

 だが、怯えている暇はない。

 俺は転がるように距離を取りながら、リュックへ手を突っ込んだ。

 工具。折り畳みシャベル。ロープ。干物。

 改めて見ても意味不明な荷物だ。

 なのに、今はこのガラクタだけが頼りだった。

『商品を見るな。“価値”を見ろ』

 ヴェルカの言葉が脳裏をよぎる。

「だったら……!」

 俺は咄嗟に工具袋から金属杭を引き抜いた。

 《鉄杭:18G》

 価値を上げる。

 固定。支柱。崩落。拘束。

 頭の中で用途を組み替えた瞬間、杭が淡く光を帯びた。

 《鉄杭てっくい:18G → 岩盤固定楔がんばんこていくさび:240G》

「ミリス! 右の壁!」

「うん!」

 ミリスが石を投げる。

 価値を付与された投石が岩壁へ叩き付けられた瞬間、亀裂が走った。

 そこへ俺はくさびを打ち込む。

「倒れろっ!」

 次の瞬間、支えを失った岩盤が轟音と共に崩れ落ちた。

 大量の岩塊がんかいがグラン・モルドの背中へ直撃する。

 土煙が舞い、洞窟全体が震えた。

「やったか――」

 言いかけて、凍り付く。

 黒い巨体が、崩れた岩盤を押し退けながらゆっくり顔を上げた。

 外殻にはヒビ一つ入っていない。

「嘘だろ……」

 グラン・モルドが低く唸る。

 その咆哮だけで、空気がビリビリと震えた。

「クラド、来る!」

「っ!」

 ミリスの声で反射的に飛び退いた直後、巨大な尾が横薙ぎに空間を薙ぎ払う。

 岩壁が爆ぜた。

 破片の一つが肩へ直撃し、激痛が走る。

「ぐっ……!」

 痛いなんてもんじゃない。肩が吹き飛んだかと思った。

 だが、その隙にミリスが石を構えていた。

「投げる」

「頼む!」

 《ただの石:0G → 投擲石礫とうてきいしつぶて:50G》

 ミリスが全力で振り抜いた石が、砲弾みたいな勢いでグラン・モルドの頭部へ突き刺さる。

 ガギィンッ‼

 硬質な音が響いた。

 さすがに効いたのか、巨体がわずかによろめく。

「今のうち……!」

 俺はさらにリュックを漁った。

 手に触れたのは、なぜか入っていた魚の干物。

 こんな時に何になるんだよ、と昨日までの俺なら思っていた。

 けれど今は違う。

 使えるかじゃない。

 使える価値を与えられるかだ。

 《巨大魚の干物:12G》

 鉄臭。誘引。腐臭。魔物。

 価値を組み替える。

 《巨大魚の干物:12G → 魔物誘引香餌ゆういんこうじ:190G》

 干物から、鼻を刺すような異臭が広がった。

「うわっ、くっさ⁉」

 思わず顔をしかめ、遠くへと投げ放つ。

 だが次の瞬間、グラン・モルドの眼光がこちらから逸れた。

 食いついた。

「ミリス! 左へ回れ!」

「うん!」

 巨体が干物に喰らいついた瞬間、俺はロープを掴む。

 《麻ロープ:15G → 捕縛ワイヤー:260G》

 硬質化したロープが青白く光った。

「脚止めるぞ!」

 ミリスが投石で牽制けんせいする間に、俺はワイヤーを地面へ滑らせる。狙いは前脚。

 絡め取れれば、一瞬でも動きを止められる。

 だが。

 グラン・モルドは、まるで鬱陶うっとうしい蜘蛛の糸でも払うみたいに脚を振った。

 バチィンッ‼

「――は?」

 次の瞬間、強化したはずのワイヤーが容易く引き千切れた。

 あり得ない。

 260G相当まで価値を上げたんだぞ。

 なのに。

「……格が違いすぎるだろ」

 乾いた声が漏れる。

 グラン・モルドはゆっくりとこちらを向き直り、その赤熱した眼を細めた。

 今のでようやく、“敵”として認識したみたいに。

 グラン・モルドが一歩踏み出すたび、洞窟全体が鈍く震えた。

 さっきまでの攻撃は、せいぜい「鬱陶しい」と思わせた程度なのだろう。巨体の動きには、まだ余裕が残っている。

 対して俺たちは、もう余裕なんて言っていられる状況じゃなかった。

「っ、ミリス! 右!」

「うん!」

 飛び掛かってきた前脚をギリギリで回避しながら、俺は咄嗟に鍋を掴んだ。

 《鉄鍋:30G → 共鳴震音きょうめいしんおん鍋:210G》

 頭の奥が焼けるように熱くなる。

 俺は鍋を全力で岩壁へ叩き付けた。

 キィィィィンッ――!!

 甲高い異音が空洞へ響き渡る。

 耳の奥を針で掻き回されるみたいな不快音だった。ミリスですら顔をしかめて耳を押さえる。

 だが、その効果はあった。

 グラン・モルドが苛立ったように頭を振る。

「今だ、走れ!」

 その隙に距離を取る。

 だが次の瞬間、黒鉄くろがね色の尾が暴風みたいな勢いで薙ぎ払われた。

「――っ⁉」

 避け切れない。

 咄嗟にフライパンを前へ出す。

 《簡易鋼盾:耐久限界》

 直後。

 ガァンッ! という轟音と共に、凄まじい衝撃が全身を吹き飛ばした。

「がっ……!」

 呼吸が潰れる。

 地面へ叩き付けられ、肺の空気が全部吐き出された。

 視界がぐらりと揺れる。

 フライパンは中央から大きくひび割れ、盾としての価値を失っていた。

 《破損鉄板:5G》

「クラド!」

 ミリスの声が遠い。

 起き上がろうとした瞬間、胸に激痛が走った。

「っ、ぐ……!」

 息ができない。

 肋骨をやった。

 理解した瞬間、嫌な汗が噴き出す。

 なのにグラン・モルドは待ってくれない。巨体を軋ませながら、ゆっくりこちらへ迫ってくる。

 俺は歯を食いしばり、再び石を掴んだ。

 《ただの石:0G》

 価値を上げる。

 もっと強く。もっと危険に。

 《ただの石:0G ――変換失敗》

 石は、ただの石のままだった。

 次の瞬間、頭の奥で何かが焼き切れるような激痛が走る。

「がっ……!」

 鼻から血が垂れた。

 視界の文字がノイズ混じりに明滅する。

 使いすぎた。初めて使った時と同じだ。

 しかも相手は“価値測定不能”。

 無理やり対抗し続けた反動が、一気に来ていた。

 それでも、止まれば死ぬ。

「ミリス! 石!」

「ある!」

 投げ渡された石を掴み、再度価値を上げる。

 《ただの石:0G → 火炎鉱石:160G》

 今度は成功。

 だが変換と同時に、視界の文字がバチバチとノイズ混じりに明滅した。

 限界が近い。

 直感で分かった。

「っ、らぁぁぁ‼」

 火炎鉱石を投げ付ける。

 爆炎が炸裂し、グラン・モルドの顔面を炎が包み込んだ。

 だが。

 咆哮。

 次の瞬間、炎の中から巨大な影が突っ込んできた。

「――速っ⁉」

 避ける暇もない。

 黒鉄の巨体が真正面から迫る。

 その瞬間、ミリスが俺を突き飛ばした。

「っ!」

 ミリスの小さな身体が、尾の一撃で吹き飛ばされる。

「ミリス‼」

 鈍い音。小柄な身体が地面へ崩れ落ちた。

「……っ」

 息が止まる。一瞬、頭の中が真っ白になった。

 手が震えている。今ので腰が抜けた。

 グラン・モルドは、まるで虫でも払った程度にしか思っていないのだろう。

 赤熱した眼をゆっくりとこちらへ向け直してくる。

 その巨体が動くたび、洞窟が低く軋む。

「くそっ……!」

 俺はふらつく身体に鞭打って、ミリスの元へ駆け寄った。

「おい! ミリス!」

「……ん」

 返事はあった。だが弱い。

 額から血が流れている。左腕も変な方向に曲がっていた。

 軽症じゃない。なのにミリスは、痛みに顔を歪めながらも俺を見上げた。

「……クラド、逃げて」

「馬鹿言うな!」

 思わず叫ぶ。逃げるなら、それはお前の方だろうが。

 だが、その言葉は喉の奥で止まった。

 背後から、グラン・モルドが近付いてくる。

 一歩ごとに地面が震える。

 もう分かりきっていた。

 勝てない。ゼロにいくつかけてもゼロであるように、勝機なんて最初からなかった。

 石もほとんど使い切った。価値操作も限界が近い。

 頭は割れそうなくらい痛い。まともに立つだけでも精一杯だ。

 畜生。どうせここで二人とも死ぬくらいなら――。

「……ミリス」

 俺は荒い息を吐きながら、指輪を取り外した。

 あの日、木箱の片隅で見つけた指輪。

 俺に商会から飛び出すキッカケを与えてくれた、不思議な指輪。

 結局、最後まで何なのか分からなかったが。

「これを持っていけ」

 ミリスの手に無理矢理握らせる。

 そして、傍らに転がっていた星涙石も押し付けた。

 淡い蒼光が、彼女の胸元を照らす。

「クラド……?」

「俺のことはいい。お前だけでも逃げろ」

 口にした瞬間、自分でも驚くくらい冷静な声が出た。

「落盤した隙間、あれくらいだったらミリス、通れるだろ」

「でも――」

「いいから行け!」

 思わず声が荒くなる。

「……頼む、行ってくれ」

 グラン・モルドの唸り声が、もうすぐそこまで迫っていた。

「ヴェルカさんなら、何とかできるかもしれない」

「クラドも」

「俺は囮になる。それに――」

 一息吐いて、思わず吹き出しそうになった。

「俺の骨、安値で売ったら一生たたるぞって……伝言頼めんの、ミリスだけだから」

 こんな時に何を言ってんだか。

 ミリスの瞳が揺れる。やっと決心が付いたのだろう。

「……いや」

 けれど、ミリスは動かなかった。

 逃げるどころか、ふらつく身体で一歩前へ出る。

 折れた腕を庇いながら、それでも地面に転がっていた石を拾い上げた。

 《ただの石:0G》

 どこにでもある石ころ。

 さっきまでなら、それで十分だった。

 俺が価値を与えれば武器になった。戦えた。

 でも今は違う。俺はもう限界だ。

 なら――自分がやるしかない。

「ご主人様を――クラドを助ける」

 ミリスは石を握り締め、グラン・モルドを睨み上げた。

 巨体が前脚を振り下ろす。

 死が迫る。

 その瞬間だった。

 ミリスに渡した指輪が、淡い光を放った。

「……え?」

 空気が、揺らぐ。

 次の瞬間、ミリスの手の中にあった石が、ふわりと宙へ浮かび上がった。

 重さが消えたみたいだった。

 いや、違う。軽くなったんじゃあない。

 “支配された”。

 石の周囲で、空間そのものが軋んでいる。

 《――適合確認》

 《固有能力ユニークスキル覚醒》

 《重力操作グラビティ

 視界に浮かんだ文字を見て、俺は目を見開いた。

「ミリス……?」

 ミリス自身も理解していない顔だった。

 けれど、本能だけは分かっている。

 どう使えばいいのか。

 浮かび上がった石へ向けて、ミリスがそっと手を振る。

 瞬間。

 ――ズドォォォンッ‼

 石が消えた。

 音を置き去りにした超速度の一撃が、真正面からグラン・モルドの頭部に直撃する。

 黒鉄の巨体が、初めて大きく仰け反った。

 洞窟が揺れる。グラン・モルドが唸った。

 ミリスの銀色の瞳が、静かにグラン・モルドを見据える。

 その周囲では、地面に落ちていた無数の石ころが、ゆっくりと宙に浮かび始めていた。

「――クラドは、私が守る」

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