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暗闇の中で、赤熱したような眼光が鈍く揺れる。
その視線を向けられただけで、背筋が粟立つ。
巨大な顎が岩を噛み砕くたび、ゴリ、ゴリ、と不快な
逃げ場はない。
背後は、さっき崩された落石で完全に塞がっていた。
「……クラド」
「分かってる」
震えそうになる声を無理やり押さえ込みながら、俺はフライパンを握り直した。
怖い。
正直、今すぐ全部投げ出して逃げたい。
けれど、グラン・モルドはそんな隙を与える気すらないらしい。
巨体に似合わない速度で前脚を踏み込んだ瞬間、洞窟全体が揺れた。
「来るぞ!」
叫ぶと同時に横へ飛ぶ。
直後、俺たちが立っていた場所へ巨大な爪が叩き付けられ、岩盤が紙みたいに砕け散った。
「っ、うわ……!」
飛び散った破片が頬を掠める。まともに食らっていたら、人間なんて簡単に潰れていた。
だが、怯えている暇はない。
俺は転がるように距離を取りながら、リュックへ手を突っ込んだ。
工具。折り畳みシャベル。ロープ。干物。
改めて見ても意味不明な荷物だ。
なのに、今はこのガラクタだけが頼りだった。
『商品を見るな。“価値”を見ろ』
ヴェルカの言葉が脳裏をよぎる。
「だったら……!」
俺は咄嗟に工具袋から金属杭を引き抜いた。
《鉄杭:18G》
価値を上げる。
固定。支柱。崩落。拘束。
頭の中で用途を組み替えた瞬間、杭が淡く光を帯びた。
《
「ミリス! 右の壁!」
「うん!」
ミリスが石を投げる。
価値を付与された投石が岩壁へ叩き付けられた瞬間、亀裂が走った。
そこへ俺は
「倒れろっ!」
次の瞬間、支えを失った岩盤が轟音と共に崩れ落ちた。
大量の
土煙が舞い、洞窟全体が震えた。
「やったか――」
言いかけて、凍り付く。
黒い巨体が、崩れた岩盤を押し退けながらゆっくり顔を上げた。
外殻にはヒビ一つ入っていない。
「嘘だろ……」
グラン・モルドが低く唸る。
その咆哮だけで、空気がビリビリと震えた。
「クラド、来る!」
「っ!」
ミリスの声で反射的に飛び退いた直後、巨大な尾が横薙ぎに空間を薙ぎ払う。
岩壁が爆ぜた。
破片の一つが肩へ直撃し、激痛が走る。
「ぐっ……!」
痛いなんてもんじゃない。肩が吹き飛んだかと思った。
だが、その隙にミリスが石を構えていた。
「投げる」
「頼む!」
《ただの石:0G →
ミリスが全力で振り抜いた石が、砲弾みたいな勢いでグラン・モルドの頭部へ突き刺さる。
ガギィンッ‼
硬質な音が響いた。
さすがに効いたのか、巨体がわずかによろめく。
「今のうち……!」
俺はさらにリュックを漁った。
手に触れたのは、なぜか入っていた魚の干物。
こんな時に何になるんだよ、と昨日までの俺なら思っていた。
けれど今は違う。
使えるかじゃない。
使える価値を与えられるかだ。
《巨大魚の干物:12G》
鉄臭。誘引。腐臭。魔物。
価値を組み替える。
《巨大魚の干物:12G → 魔物
干物から、鼻を刺すような異臭が広がった。
「うわっ、くっさ⁉」
思わず顔をしかめ、遠くへと投げ放つ。
だが次の瞬間、グラン・モルドの眼光がこちらから逸れた。
食いついた。
「ミリス! 左へ回れ!」
「うん!」
巨体が干物に喰らいついた瞬間、俺はロープを掴む。
《麻ロープ:15G → 捕縛ワイヤー:260G》
硬質化したロープが青白く光った。
「脚止めるぞ!」
ミリスが投石で
絡め取れれば、一瞬でも動きを止められる。
だが。
グラン・モルドは、まるで
バチィンッ‼
「――は?」
次の瞬間、強化したはずのワイヤーが容易く引き千切れた。
あり得ない。
260G相当まで価値を上げたんだぞ。
なのに。
「……格が違いすぎるだろ」
乾いた声が漏れる。
グラン・モルドはゆっくりとこちらを向き直り、その赤熱した眼を細めた。
今のでようやく、“敵”として認識したみたいに。
グラン・モルドが一歩踏み出すたび、洞窟全体が鈍く震えた。
さっきまでの攻撃は、せいぜい「鬱陶しい」と思わせた程度なのだろう。巨体の動きには、まだ余裕が残っている。
対して俺たちは、もう余裕なんて言っていられる状況じゃなかった。
「っ、ミリス! 右!」
「うん!」
飛び掛かってきた前脚をギリギリで回避しながら、俺は咄嗟に鍋を掴んだ。
《鉄鍋:30G →
頭の奥が焼けるように熱くなる。
俺は鍋を全力で岩壁へ叩き付けた。
キィィィィンッ――!!
甲高い異音が空洞へ響き渡る。
耳の奥を針で掻き回されるみたいな不快音だった。ミリスですら顔をしかめて耳を押さえる。
だが、その効果はあった。
グラン・モルドが苛立ったように頭を振る。
「今だ、走れ!」
その隙に距離を取る。
だが次の瞬間、
「――っ⁉」
避け切れない。
咄嗟にフライパンを前へ出す。
《簡易鋼盾:耐久限界》
直後。
ガァンッ! という轟音と共に、凄まじい衝撃が全身を吹き飛ばした。
「がっ……!」
呼吸が潰れる。
地面へ叩き付けられ、肺の空気が全部吐き出された。
視界がぐらりと揺れる。
フライパンは中央から大きくひび割れ、盾としての価値を失っていた。
《破損鉄板:5G》
「クラド!」
ミリスの声が遠い。
起き上がろうとした瞬間、胸に激痛が走った。
「っ、ぐ……!」
息ができない。
肋骨をやった。
理解した瞬間、嫌な汗が噴き出す。
なのにグラン・モルドは待ってくれない。巨体を軋ませながら、ゆっくりこちらへ迫ってくる。
俺は歯を食いしばり、再び石を掴んだ。
《ただの石:0G》
価値を上げる。
もっと強く。もっと危険に。
《ただの石:0G ――変換失敗》
石は、ただの石のままだった。
次の瞬間、頭の奥で何かが焼き切れるような激痛が走る。
「がっ……!」
鼻から血が垂れた。
視界の文字がノイズ混じりに明滅する。
使いすぎた。初めて使った時と同じだ。
しかも相手は“価値測定不能”。
無理やり対抗し続けた反動が、一気に来ていた。
それでも、止まれば死ぬ。
「ミリス! 石!」
「ある!」
投げ渡された石を掴み、再度価値を上げる。
《ただの石:0G → 火炎鉱石:160G》
今度は成功。
だが変換と同時に、視界の文字がバチバチとノイズ混じりに明滅した。
限界が近い。
直感で分かった。
「っ、らぁぁぁ‼」
火炎鉱石を投げ付ける。
爆炎が炸裂し、グラン・モルドの顔面を炎が包み込んだ。
だが。
咆哮。
次の瞬間、炎の中から巨大な影が突っ込んできた。
「――速っ⁉」
避ける暇もない。
黒鉄の巨体が真正面から迫る。
その瞬間、ミリスが俺を突き飛ばした。
「っ!」
ミリスの小さな身体が、尾の一撃で吹き飛ばされる。
「ミリス‼」
鈍い音。小柄な身体が地面へ崩れ落ちた。
「……っ」
息が止まる。一瞬、頭の中が真っ白になった。
手が震えている。今ので腰が抜けた。
グラン・モルドは、まるで虫でも払った程度にしか思っていないのだろう。
赤熱した眼をゆっくりとこちらへ向け直してくる。
その巨体が動くたび、洞窟が低く軋む。
「くそっ……!」
俺はふらつく身体に鞭打って、ミリスの元へ駆け寄った。
「おい! ミリス!」
「……ん」
返事はあった。だが弱い。
額から血が流れている。左腕も変な方向に曲がっていた。
軽症じゃない。なのにミリスは、痛みに顔を歪めながらも俺を見上げた。
「……クラド、逃げて」
「馬鹿言うな!」
思わず叫ぶ。逃げるなら、それはお前の方だろうが。
だが、その言葉は喉の奥で止まった。
背後から、グラン・モルドが近付いてくる。
一歩ごとに地面が震える。
もう分かりきっていた。
勝てない。ゼロにいくつかけてもゼロであるように、勝機なんて最初からなかった。
石もほとんど使い切った。価値操作も限界が近い。
頭は割れそうなくらい痛い。まともに立つだけでも精一杯だ。
畜生。どうせここで二人とも死ぬくらいなら――。
「……ミリス」
俺は荒い息を吐きながら、指輪を取り外した。
あの日、木箱の片隅で見つけた指輪。
俺に商会から飛び出すキッカケを与えてくれた、不思議な指輪。
結局、最後まで何なのか分からなかったが。
「これを持っていけ」
ミリスの手に無理矢理握らせる。
そして、傍らに転がっていた星涙石も押し付けた。
淡い蒼光が、彼女の胸元を照らす。
「クラド……?」
「俺のことはいい。お前だけでも逃げろ」
口にした瞬間、自分でも驚くくらい冷静な声が出た。
「落盤した隙間、あれくらいだったらミリス、通れるだろ」
「でも――」
「いいから行け!」
思わず声が荒くなる。
「……頼む、行ってくれ」
グラン・モルドの唸り声が、もうすぐそこまで迫っていた。
「ヴェルカさんなら、何とかできるかもしれない」
「クラドも」
「俺は囮になる。それに――」
一息吐いて、思わず吹き出しそうになった。
「俺の骨、安値で売ったら一生
こんな時に何を言ってんだか。
ミリスの瞳が揺れる。やっと決心が付いたのだろう。
「……いや」
けれど、ミリスは動かなかった。
逃げるどころか、ふらつく身体で一歩前へ出る。
折れた腕を庇いながら、それでも地面に転がっていた石を拾い上げた。
《ただの石:0G》
どこにでもある石ころ。
さっきまでなら、それで十分だった。
俺が価値を与えれば武器になった。戦えた。
でも今は違う。俺はもう限界だ。
なら――自分がやるしかない。
「ご主人様を――クラドを助ける」
ミリスは石を握り締め、グラン・モルドを睨み上げた。
巨体が前脚を振り下ろす。
死が迫る。
その瞬間だった。
ミリスに渡した指輪が、淡い光を放った。
「……え?」
空気が、揺らぐ。
次の瞬間、ミリスの手の中にあった石が、ふわりと宙へ浮かび上がった。
重さが消えたみたいだった。
いや、違う。軽くなったんじゃあない。
“支配された”。
石の周囲で、空間そのものが軋んでいる。
《――適合確認》
《
《
視界に浮かんだ文字を見て、俺は目を見開いた。
「ミリス……?」
ミリス自身も理解していない顔だった。
けれど、本能だけは分かっている。
どう使えばいいのか。
浮かび上がった石へ向けて、ミリスがそっと手を振る。
瞬間。
――ズドォォォンッ‼
石が消えた。
音を置き去りにした超速度の一撃が、真正面からグラン・モルドの頭部に直撃する。
黒鉄の巨体が、初めて大きく仰け反った。
洞窟が揺れる。グラン・モルドが唸った。
ミリスの銀色の瞳が、静かにグラン・モルドを見据える。
その周囲では、地面に落ちていた無数の石ころが、ゆっくりと宙に浮かび始めていた。
「――クラドは、私が守る」
クラドたちがミナスガルドを旅立って、三日後の真夜中。「くそ……アルベリオの役立たずめ……!」 ミザールは脇腹を押さえ、人気のない路地を急いでいた。 息を吸うたびに喉がひりつき、慣れない石畳に何度も足を取られる。 こんな惨めな思いをするのも、全てはあの男がしくじったせいだ。 角を曲がったところで足を止め、背後を窺う。 追ってくる足音はない。 それでもしばらく耳を澄ませてから、ようやく詰めていた息を吐いた。 街さえ出れば、どうにでもなる。 金を握らせれば動く連中など、いくらでもいるのだ。 乱れた襟元を直し、歩みを再開する。その時だった。「あら。こんな夜更けに大急ぎで、どこへ行くのかしら?」 鈴を転がすような声が、ミザールの足を止めた。 声の方を見やると、その先に少女が立っていた。 街灯の下、全身を包む黒い装束に、細い金の線が浮かんでいる。 白磁のヴェネチアンマスクで素顔は窺えない。 だが少女の手に握られた短剣が、猫の目のように爛々と輝いていた。「悪いなお嬢さん、ボクは見ての通り急いでいるんだ。そこを退いてもらおうか」「残念だけれど、それは無理な相談ですわ。ミザール様」 少女はマスク越しにミザールへ笑いかけ、一枚のカードを投げ放つ。 カードは足元の石畳を滑り、靴先に当たって止まる。「……なんの真似だ」 しかし少女は答えない。 ミザールは彼女を警戒しながら腰を屈め、カードを拾い上げた。 自分の名に続く細かな文字に目を走らせた途端、眉がぴくりと跳ねる。「まずはたしか、人身売買だったかしら」 指先が強張った。 少女はカードを見るまでもなく、そこに記された罪状をすらすらと読み上げていく。 海賊との取引も、口封じを命じた相手も、ミザールが金を使って揉み消してきたはずのことばかり――。「そして、商船襲撃の手引き……救いようもない悪党ね、あなた」「あの異国人共の船はアルベリオが勝手にやったことだ! ボクは何も――」「あら? まだどこの船とも申し上げておりませんけれど?」 少女の指摘に、ミザールは口を噤んだ。 仮面の奥から向けられる眼差しに耐えかね、手の中のカードを握り潰す。 ――この女は知っている。 どこまで調べたのかは分からないが、生かして帰すわけにはいかなかった
その日の夜、宿屋で俺たちを待っていたのは、目を疑う光景だった。「おう、遅かったじゃねえか」 目の前にはヴェルカ。しかしその隣に、酒瓶がない。 床に転がっていた空瓶もなく、酒の臭いすらしない。「ヴェルカ、だよね?」「まさか入る部屋を間違えたのでは」「合ってるわ。こんな時に飲んでられるかよ」 ヴェルカは顎でベッドを示し、座るよう促してきた。 三人でベッドの縁に腰を下ろす。向かいの椅子に座るヴェルカを見て、俺は口を開いた。「それで、話ってなんだ?」 ヴェルカはすぐには答えなかった。 秒針の音がやけに大きく聞こえる。「ヴェルカ殿?」「クラド、ミリス。それと、カグヤ。……すまなかった」 深々と頭を下げられ、俺は思わず息を呑んだ。「ヴェルカ? どうしたんだよ、急に」「お前ら、アルベリオが競売会場で言ったこと、覚えてるか?」 真っ先に口を開いたのはカグヤだった。「利用されている、たしかそう言っていたような」「それだ。そのことで、お前らに謝らなきゃなんねえ」 顔を上げたヴェルカは、俺たちを見据えた。「アイツの言ってたことは間違っちゃいねえ。私は確かに、お前らを利用していた」「……利用?」 ミリスが目を丸くして、俺とヴェルカの顔を交互に見ている。 隣ではカグヤも眉を寄せていた。「それは……どういう意味ですか?」「言葉通りだ。私には私の目的があって、そのためにお前らに目を付けた」 俺たちに教えてくれたことも、ここまで一緒に旅をしてきたことも、その目的のためだったのか。 けれど、思い浮かんだのは、あのベリアルを前にした時の姿だった。 ヴェルカは自分の命を削ってまで、俺たちを立たせてくれた。 あれも全部、自分のためだったとは思えない。「……何のために?」 ヴェルカが少しだけ目を見開く。「怒らねえのか?」「理由も聞かずに怒れるかよ。アンタには、命だって助けてもらってるんだ」「……ったく」 ヴェルカは困ったように笑い、椅子の背にもたれた。「じゃあ、少し昔話に付き合ってくれ」 俺たちが黙って待っていると、やがてヴェルカは話し始めた。「八年前、私は《夜明けの牙》ってギルドにいた。当時はそこそこ名の知れたギルドでな。私にも、仲間って呼べる奴らがいた」 仲間、と口にした時だけ、声が少し和ら
「……ド!」 声がする。「……ラド!」 誰かが俺を呼んでいる。 そういえば、あれから俺はどうなったんだ? ベリアルを斬って、奴の身体が崩れて、それから――。「クラド!」「クラド殿! 起きてください!」 瞼を持ち上げた途端、全身が一斉に痛みを訴えた。 肩も腰も頭も痛い。むしろ、痛くない場所を探した方が早そうだ。「痛ァッ!」 反射的に起き上がろうとした俺の額を、ヴェルカが掴んで地面へ押し戻した。「バカ、そんなすぐ起きたら傷が開くだろうが」「だったらもう少し優しく戻せ!」「いっけね」 舌を出すヴェルカへ文句を言う間もなく、今度はミリスが胸へ飛び込んできた。「クラド! よかった、生きてた……!」「ミ、ミリス……肋、肋が……」 聞こえていない。 ベリアルを倒した直後に仲間の抱擁で死ぬのだけは、さすがに勘弁してほしい。「こらこらミリス殿。その辺にしておかないと」「だって、だって……」「このままじゃクラドが死ぬぞ?」 ヴェルカが笑う。 つい数秒前、自分が俺の頭を地面へ押し戻したことは忘れたらしい。 ……いや、ちょっと待て。「俺って確か、落ちてなかったか?」 そこまで思い出したところで、カグヤがミリスを引き剥がしながら振り返った。「あの後、ヴェルカ殿が受け止めてくれたんですよ」「ったく、最後まで世話の焼ける弟子だよ、お前は」 そう言うくせに、ヴェルカの口元は少しだけ緩んでいた。「……ヴェルカ」「あ?」「ありがとう」「き、気持ち悪ぃこと言うなよ。鳥肌立つだろ」「おい! 人が素直に礼言ってんだから受け取れよ!」「いらねえよ。現金で寄越せ」「結局金かよ!」 まったく。「それよりクラド殿、身体は本当に大丈夫ですか?」「全然大丈夫じゃない。たぶん骨、何本かいってる」「……治療していただきましょう」 そこでようやく、俺も大きく息を吐いた。 改めて周囲を見る。 夜市だった場所は見る影もない。 石畳は抉れ、建物は崩れ、《価格暴落》に呑まれた一帯には瓦礫すら残っていなかった。 灰だけが、夜風に舞っている。 そして――ベリアルはいない。「……本当に、倒したんだよな」「ええ。気配は完全に消えてい
「俺たちの価値は、俺たちが決めるッ!」 叫び声が、灰色の街に響き渡った。 その声が消えてからも、しばらく誰も動かなかった。 瓦礫の山。崩れ落ちた家々。価値を奪われ、砂と灰だけになった石畳。 その中心に立つベリアルは、まるで巨大な城壁のように俺たちを見下ろしている。『ほぉ。ならば見せてみよ、貴様らが決めた価値とやらを』 対して俺たちは……正直、限界に近かった。 それを見透かしたように、ベリアルの口角が僅かに上がる。 だが、その口が開くより早く――。「だが今の貴様らのような雑魚羽虫にできることなど、たかが知れている」 ヴェルカが芝居がかった声で、その続きを先回りした。「……なんて、いつまでも言われっぱなしは癪だからよォ! だから見せてやる!」 驚き振り返る暇もなく、ヴェルカは強引にミリスとカグヤのうなじを掴んだ。 二人が目を丸くするのも構わず、その手に力を込める。「この能力、後がキツいから嫌いなんだが……。贅沢は言ってられねえ!」 ヴェルカの手が、二人のうなじを掴んだまま強く光る。「ちょ、ちょっとヴェルカさん⁉」「ヴェルカ、何をするつもり?」「こっから先は、未来の私に“ツケ”てやる。ただそれだけだ」 その言葉と同時に、光が二人の身体を包み込んだ。「……え?」 ミリスが自分の手を見つめる。 さっきまで震えていた指には力が戻り、カグヤの傷口から流れていた血も止まっていた。「これ……」「体力と魔力をまとめて前借りした」 ヴェルカは二人から手を離すと、肩をぐるりと回した。「未来の私からなァ」「未来から……?」 カグヤが不思議そうな顔で問う。「未来から。だから後払いだ」 ヴェルカは笑った。「当然利子付き。最悪だろ?」 軽口とは裏腹に、その額にはじっとりと汗が浮かんでいる。 俺は思わずヴェルカを振り返る。「おい、それって……」「なに心配すんな」 ヴェルカがニヤリと笑った。「師匠ってのは、弟子より先にぶっ倒れるくらいで丁度いいんだよ」「そんな理屈、聞いたことないぞ」「今私が作った」 そう言って、ヴェルカは俺の胸を軽く叩いた。「クラド。テメェもだ」「……俺も?」「当たり前だろ。まさか二人だけ元気にして、
巨体が大きく揺れ、そのまま石畳へ崩れ落ちた。 ゆっくりと土煙が晴れる。 焦げた胸板。 焼き潰れた右目。 額にはヴェルカの蹴り跡が深々と刻まれていた。 それでも、ベリアルは起き上がろうとはせず、ただ自分の掌を見ていた。『ぐ……。何故、だ……』 低く唸るような声が響く。『何故、我に攻撃が届いた』 その問いは俺たちではなく、自分自身に向けられているようだった。『我に奪えぬ価値はない。我の前では全てが無価値となるはず』 大きな掌――その中央に空いた風穴を見つめ、ゆっくりと握る。 触れたものの価値を奪う掌に、初めて付けられた傷なのだろう。 その姿を見て、ヴェルカが鼻で笑った。「どうやら神様ってのも、案外頭は固ェみたいだな」 神を名乗るには、随分と間抜けな顔だ――そう言わんばかりに肩を竦める。 ミリスが俺とベリアルを見比べる。「結局、どうして攻撃が当たったの?」「私にも、全く見当が付きません」 屋根から降り立ったカグヤが静かに首を振った。「私の符術は、触れられた瞬間に崩壊しました。それなのに、クラド殿の攻撃だけが通った理由は……」「そこなんだ」 俺は二人へ視線を向けながら言った。「考え方が、逆だったんだよ」「逆?」 ミリスが瞬きを繰り返す。「じゃあ逆に聞くが、お前ら、音を殴ったことはあるか?」 その横から、ヴェルカが割って入ってきた。「……え?」「光でもいい。掴んだことは?」 あまりに突飛な問いに、二人は揃って黙り込む。「そんなのできるわけ――」 言いかけたミリスの横で、カグヤが眉を寄せた。「というより、それと今回の戦いに何の関係が……」「ああ、普通なら関係ねえ」 ヴェルカはニヤリと笑う。「けど今回は、その"普通"が答えなんだよ」 俺も頷いた。「俺の能力も、ベリアルの能力も、本質は同じだ」 掌を見つめながら続ける。「触れたものの価値を扱う能力。ただ、俺は価値を変えられて、あいつは奪う。それだけの違いだ」「つまり……同じ条件でしか発動しない?」 カグヤが静かに口にする。「そういうこと」 するとミリスが、まだ納得できない様子で首を傾げた。「でもカグヤの攻撃だって、光みたいなものだったよ?」「いえ……厳密には違います
急ぎ足で競売会会場――オペラ座を出ると、露店の連なった夜市が広がっていた。 ほんの数分前まで笑い声で満ちていたはずの夜市は、もうそこにはない。 果物を抱えた商人は荷車を放り出し、家族連れは悲鳴を上げる子供の手を引いて逃げる。 行き交う人々が我先にと押し合い、倒れた誰かを踏み越えて逃げて行く。 その中心に、夜空を背負うように立つのは、三メートルを超える怪物。 ベリアルは逃げ惑う群衆など眼中にない様子で、一軒の露店を掴み上げた。 次の瞬間、その屋台は砂のように崩れ始めた。 木材も、布も、並べられていた雑貨も。 触れられた全てが色を失い、灰となって夜風へ溶けていく。『脆い』 ベリアルは掌に残った灰を見つめ、退屈そうに呟いた。『価値無き器は、触れるだけで崩れる』 言葉と同時に近くの露店を蹴散らす。 その風圧一つで、周囲のテントが舞い上がり、小さな瓦礫が飛び荒む。「皆さん、下がって!」 《硬》 カグヤが間髪入れずに札を切り、障壁を展開した。 それでも勢いがついた瓦礫は、その障壁すら突き破って襲いかかってくる。『先刻の人の子か。何をしに此処へ来た』「そんなの決まってるだろ! オマエを止めに来たんだ!」「街を壊すなんて、そんなの許さない!」『戯言を。貴様らのような無価値なデク人形に、我は倒せぬ』 ベリアルは俺たちを見下しながら、一歩踏み出す。 地面が大きく揺れ、思わず転びそうになる。『だがこの我に立ち向かう勇気、賞賛に値する。価値なき勇気だがな』「図体だけじゃなく、態度もデカいとはなァ。ハッキリ言って、私はアンタが嫌いだぜ」 ヴェルカは鼻で笑い、スカートの裾を豪快に引き裂いた。 そして先程のお返しと言わんばかりに右脚を踏み出し、ベリアルの顔を睨み上げた。「テメェにも教えてやるよ。人間サマの本気がどれくらい恐ろしいモノかをよォ!」『雑兵ほどよく吠えるものよ。まずは貴様から血祭りに上げてくれる』 巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。「来るぞ!」 俺が叫ぶより早く、ベリアルの拳が大地に叩き付けられた。 轟音。 |石畳《いし







